生きづらさはどこから来るのか-ミシェル・フーコー
「実存-自分らしくあること-を突き詰めれば、一人ひとりが芸術作品」
今日はNHKでミシェル・フーコーについてわかりやすく取り上げられていたので、それを参考にまとめてみようと思います。
なぜ、絵画は芸術作品で、人間は芸術作品ではないのか。
そう問いを立てたのが、フランスの哲学者 ミシェル・フーコーでした。
狂気(人とは違う点)が社会でどう扱われるかは、その時代の常識によって変わると言います。
神話や伝説によって「常識」が作られていた時代には周りから崇められた狂気が、16-17世紀以降に科学や産業が発達し新たな常識ができると社会から阻害されるようになりました。
言い換えると、ある時代には「常識」の範囲内にある狂気が、時代が変わり「常識」の範囲が変わると社会から阻害される要因になったりします。
つまり、狂気に問題があるのではなく、「常識」に問題があるということです。
常識、または言説(私たちの語り方や考え方)とは、ほとんど無意識なルールと条件によって輪郭を与えられていると言います。
しかし、それでも自分の中で生きづらさを感じてしまう。それはなぜでしょうか。
それは、心の監視システムによるものだと言います。
フーコーは、実際には誰からも監視されているわけではないのに、人から見られている・監視されているという意識が自分の脳の中にできてしまうことが問題だと言います。脳内監視システムです。
自分が常識に当てはまっているのかどうかを、自分自身が監視してしまっている状況です。
自分らしさというものを極める。
それによって人間一人ひとりが芸術作品になる。
フーコーはそう唱え、晩年に自身が同性愛者であることを公表しました。
自分らしさとは何でしょうか?
それを極めるには何ができるでしょうか?
時間の使い方・環境・人間関係。
変えられるものからやってみるのがいいかもしれませんね。