1行で深い思想へ

いつもの世界の見え方が少し変わる。そんな力が色んな学問の思想に隠されていると思います。皆さんの生活のヒントになるようなアイデアを短く分かりやすくお伝えしていきます。

【発達心理学】子どもの「やりたい」気持ちが学びのスイッチ、自分でやってみることで理解できる- ジャン・ピアジェ

 

「子どものやりたい気持ちが学習の要であり、教育者の仕事は、子どもの興味関心、探究心、創造力、工夫、発明を後押しし、それによって新しいことをできる能力を持った人間を育てること」

 

スイス人の心理学者ピアジェは、年齢の異なる子どもたちの間で、時間とともに精神的知能がどのような自然な発展を遂げるのかを研究しました。

 

子どもは能動的で自立した学び手であり、自分の感覚を使って自分の周りの世界と相互に影響しあっていきます。

 

学習は、個人による能動的な過程だとピアジェは言います。

新生児から幼年期を通じて、子どもの感じたい、試したい、動きたい、マスターしたいという自然な欲望から、学習は生まれます

 

 

突然ですが、皆さんは、子どもにどのようなイメージを持っていますか?

 

子どもは、単にまだ大人と同じくらいにはものを知っていない大人のミニチュアではありません。

ピアジェは、むしろ、子どもは、大人とは全く異なった仕方で世界を見ていて、年齢を異にする子どもも互いに異なった考え方をしていると言います。

 

ピアジェは研究で、子どもにどうしてそう答えるのか説明するよう求めるインタビューを行いました。それにより、子どもの思考の過程を理解しようと努めました。

 

ピアジェが提唱した、子どもの発達の4段階があります。

 

第一段階:生後2年間

子どもは、自分の感覚と体の運動を通じて世界について学びます。

そして、次第に、今、目の前にいない物をイメージできるようになり、隠されているものを見つけ出せるようになります。

 

第二段階:2歳から4歳

子どもは、物を論理的な順番で並べたり(高い順に、大きい順に)、2つの物の共通の特徴(大きさや色など)を見つけて比較することができるようになります。

 

第3段階:

子どもは、物が多くの性質によって分類されることがわかるようになります。

例えば、お菓子の缶には面積の広い物もあれば、色が緑のものもあり、見た目が透明なものをある、とわかるようになります。

 

第4段階:

子どもは、抽象的な観念を操るようになります。

言葉だけで思考をめぐらすことができます。

こうかもしれない、と仮説に基づいて考えることができるようになり、想像力という能力を発達させます。

 

 

子どもたちは、まず新しい情報を、既存の図式に組み込み同化させていきます。

そして、すでにある新しい知識を修正する必要があるときは、調節します。

そうやって、新しい経験のほとんどを同化できるようになります。

しかし、どうしても既存の図式では新しい状況にうまく対処することができない時、図式を発展させる必要が生じます。

それが学習の最も基本的な形態の一つであると言います。

 

平たくいうと、経験を通して、こういう時はこうやったらうまくいくという成功パターンが作られていくけども、ある時、今までのやり方が通用しないという失敗を通じて、もっとやり方を変えてみよう、知識をつけよう、練習しようと学んでいく、ということでしょうか。

 

これらの視点は、1970年代と1980年代に、ヨーロッパとアメリカの教育システムの根本的な改定に寄与しました。

子ども中心の教授方法をもたらしたのです。

 

教育者に求められるのは、大人のように考え振舞うことを子どもに教えることではなく、子どもたちが新しい自分の考え方を育てられるようにすること

子どもの創造力や工夫、発明力を後押していくこと。

規定のガイドラインに追従することではありません。

 

子どもの自然な学びは、始まりからずっと能動的で探究的なものであり、教育システムもそうあるべきだ、とピアジェは言いました。

 

つまり、教育は、特定のやり方を強調すべきでなく、子どもの自然な学習過程を育むことが大切です。

 

また、子どものレベルにあったものを用意していくということです。

一人一人の子どもの新しい経験を処理するあるいは新たな情報を取り入れる能力の限度に注意を払い、それを尊重する必要があります。

 

そして、子どもたちが受動的に教えを聞くのではなく、互いに積極的に討論することで、自分たちのすでに持っている知識をもっと深め、堅固にしていける可能性が高くなります。

 

道徳教育に関しても、

本当の道徳的成長は、大人からの教育の産物ではなく、子ども自身の世界観察を土台として形成されます。

そのために、同世代の子どもとの相互作用が、子どもの道徳的発達にとって重要であると言います。

両親や他の権威的存在でもなく、同世代の仲間は、相互性、平等、公正といった概念の理解の鍵になると言います。

そのため、教室内で同世代と相互作用を通して学ぶことを推奨しました。

 

 

子ども中心の教室の教師の役割は、標準を教え込む存在というより、よき指導者となり可能性を引き出す存在です。

必要なのは、注意深く個々の生徒の現時点での認知発達のレベルを見積もった上で、内在的な動機付けとなる課題を与える(子どもがやりたいなと思うきっかけを作る)ことです。

子どもが次の段階に行けるよう、少し難しいかなと思うような(子どもがまだ経験していないような)課題を作り、学習の機会を与えます。

そこで注目するのは、最終結果の達成(例えばテストの点数)以上に、学習の過程(どのように取り組んできたのか)であり、場合によっては、もっと質問や探究をするように勧めます。

何よりも、子どもたちがお互いに教え、学びあえるような空間を生み出すことが大切です。

 

 

ただし、ピアジェへの批判として、

子どもは自立した存在ではなく、子どもの認知的発達に他者が重要な役割を果たすという主張もあります。

また、子どもの4つの発達段階は普遍的なものではなく、環境的文化的要因に影響を受けます。

 

 

それでも、西洋世界における教育の本質を根本から変えたと言えます。モンテッソーリ学園などがピアジェの考えを具現している例です。

 

 

「子どもたちが本当に理解しているのは、自分で発明したことだけ」とピアジェは言いました。

私たちが、自分の手で作ったり経験することを通して物事をより理解できるのと同じように、子どもも、自分の頭と感覚で何かを考えたり作りあげることで、本当に物事を理解できるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

【政治】個人主義が社会の基盤-ジョン・スチュアート・ミル

「個人の自由を守ることが社会の 基盤」

 

「多数派の専制

選挙で選ばれた政府は多数派の意見を吸い上げたものであり、多数派が少数派を抑圧するような事態が起こらないとも限らない。

選挙で選ばれた政府の干渉であっても有害な結果をもたらす可能性がある。

なぜなら、人々が持っている意見は自分の利益のためが多いから。

その結果の社会全体の意見とは、結局社会で優勢な集団の利益を反映している意見に過ぎない。

 

社会が個人の自由に干渉することが正当であると認められるのは、

他者に危害が及ぶのを防ぐという目的があるときのみ、と言いました。

 

しかし、強制はできないとも言いました。

身体も精神も、自分に対して主権を持っているのはその本人であるからです。

 

 

多様な思想を取り入れる重要性

多様な考え方が生まれる余地を残しておかんえばならない。

それは、正しい思想にいつまでも効力を持たせるためにはその思想を定期的に点検する必要があり、最適な方法は反対意見を持っている人々の考えを聞くことである。

このような議論がないと、人々は正しい思想の基礎的な部分すら理解しない。

その結果、その思想は理解されることなく、おうむ返しで復唱される。

どんなに正しい行動・道徳原理でも、 意味が理解されないと、人の自発的な動機付けにならない。

 

行動の道徳性

功利主義では、その行動が人々の幸福の全体量に対してどの程度貢献したかという点で判断されるべき、と言います。

個人の自由による発言や集結は、それが幸福より不幸を生み出す場合には認められない可能性があるということです。

 

批判

しかし、個人の自由の保護と功利主義は矛盾する点もあります。

 

行動に対する制約がない自由は消極的自由と言われ、最貧困層など意見表現方法を持たない人にとって無意味です。

その人たちが積極的に意見を述べて政策に影響を及ぼせるよう積極的に手助けする「積極的自由」が必要です。

形式的参政権が意味がないのも同じです。

 

今では、より自由主義的な規制を求める人々が、ミルの主張を引き合いにだすを言います。

 

 

 

 

【政治】自由を守らない法律や政府には抵抗すべき-ジョン・ロック(1632-1704年)

「政府が必要なのは、人の自由を保護するために中立的に裁く人が必要だからであり、法がないところに自由はなく、逆に人民の権利を奪おうとする統治は奴隷制に等しく不当な政府に対して人は抵抗権を持つ」

 

イギリスのジョンロックは、政府の権力と機能は制限されるべきであると唱えました。

 

正当な政府の重要側面1:

社会に属する人々との社会契約の上に成立するもの。これは、自然状態における問題点(裁判官も警察官もいない)ことを解決するため、その役割を政府に引き受けてもらうために、人々は市民社会の一員になろうとする。

 

政府が必要なのは、中立的に裁く法律や警察が必要だからである。

つまり、法の支配による保護が必要だから、その政治的社会に参加するのです。

 

正当な政府の重要側面2:

人々の合意によって統治を行うこと。

 

法の目的は自由の保護と拡大であるべきであり、それができない政府に対して人民は抵抗権を持つと唱えました。

例えば、君主が人民との社会契約を破った場合には、国王の命を奪うことも認めました。

 

なぜなら、人々が統治権を与えるからで、その統治権を取り消す

権利も持っているからです。

 

 

正当な政府では

立法権と行政権の分立の原則を遵守すべきだと言いました。

政治に関する全般的な規則を制定する最高の権力が立法権であるのに対し、

行政権は、個々の場面においてその法を執行する権利に過ぎないからです。

 

また、政府が正当であるには、下院のような選ばれた人民の代表者による集まりが、議論を行うことが許されないといけないと言いました。

 

 

彼の思想は、イギリスで王の支配が終わり議会が権力を持つ時代へと入るきっかけとなった1688年の名誉革命に正当性を与えました。

絶対主義に走ると懸念されたチャールズ1世の処刑が正当であることを示したのです。

 

自由主義とは、法によって自分の自由と平等が保障されることを原則とすることです。

 

自由主義の思想は、アメリカの憲法にも影響を与えています。

【心理学】内向型、外向型-カール・ユング (Carl Jung)

 

内向型、外向型という言葉を聞いたことがありますか?

 

ユングはパーソナリティについて研究し、内向型、外向型という用語を紹介しました。

 

外向型は外部の世界を好む

内向型は、自分自身の内部の世界を好む。

あらゆる人は両方の傾向があります。

 

外部や内部の世界に対応するやり方を4つ紹介しました。

 

感覚機能 (Sensing): 感覚器官によって情報を得る

思考機能 (Thinking):合理的もしくは論理的に情報や考えを評価する

直感機能 (Intuiting):内面の声に一層注意を払うこと

感情機能 (Feeling):自分の感情に従って決定を下す

です。

 

皆さんはどのタイプでしょうか?

 

 

 

【認知心理学】マジカルナンバー7 プラスマイナス2- ジョージ・アーミテージ・ミラー

 

「膨大な数の情報を記憶するときは、7つまでパターン化すると処理できる」

 

 

私たちが限られた時間内に情報を記憶し活用できる能力を、作業記憶と言います。

 

作業記憶では、7つの情報までが処理できると言います。

一度に記憶できる情報は7つまでということです。

 

膨大な数の情報を記憶するときは、カケラの情報を7つまでの塊に組み立てることで、覚えやすくなります。

塊にする、とは単にグループ分けするのではなく、コード化する過程です。

コード化するとは、情報のカケラのなかにパターンと関係性を見出す能力に左右されます

パターンと関係性を見出すことができなければ、(文化の違いなどにより)、塊を作ることもできないのです。

 

物事をまとめるときなど、ぜひ7つ以下にパターン化してみましょう。

 

【認知心理学】意味記憶とエピソード記憶- エンデル・タルヴィング

「物忘れを防ぐには、情報のコード化が有効」

 

心理学者のタルヴィングは、記憶には2種類あることを見つけました。

意味記憶は、知識(事実とデータ)に基づいた記憶

エピソード記憶は、経験(出来事と会話)に基づいた記憶。

 

エピソード記憶を促す合図は、感覚。

一曲の音楽や匂いが、記憶の完全な再生のきっかけとなることもあります。

 

何かを思い出せない時、それは単に消失したという意味で忘れられたということを意味する訳ではありません。

依然として貯蔵されており、利用可能である場合もあります。

思い出せないのは、検索(再生)可能な状態ではないからです。

 

利用可能な記憶と想起可能な記憶はどのように区別されるのでしょうか。

 

タルヴィングは、「情報のコード化」が有効であることを見つけました。

事実も出来事も、組織化つまりグループ化することで、思い出しやすくなると言います。

 

 

エンデル・タルヴィング

エストニア出身の心理学者

トロント大学で教鞭をとる。

【心理療法】苦しみの意味が見出された時、苦しみではなくなる- ヴィクトール・フランクル

「苦しみは、生きる中で愛・創造行為を通して、その意味を見出された時に苦しみではなくなる」

 

人間が苦しみを耐え抜くための2つの強さ。

それは決断の能力と

態度の自由の能力。

 

ウィーン出身のフランクルは、1942年に家族と強制収容所に連行されたことを機に、自殺の防止と抑うつの治療を専門に研究しました。

 

彼は、私たちが環境や出来事に左右されるだけの存在ではない点を強調します。

環境や出来事が私たちをどう形作るかを決めるのは、私たち自身なのだと。

苦しみは、それに意味が与えられることで、耐えうるものとなります。

 

私たちの生活で、この知見をどのように活かせるでしょうか。